悲しい帰国(9月29日&30日)

投稿者: ゆたママ 投稿日時: 2007年9月30日(日) 08:34

遊びにいらしてくださった皆様へ

実は、9月30日に父が亡くなりました。
危篤の知らせを受けたのがゆたママの誕生日の翌日、つまりアメリカ西海岸時間の朝4時。
そのまま、すぐにフライトの手配をして、成田に向かい、成田に30日の午後3時過ぎに到着しました。
その時点では父はまだ大丈夫だったのですが、自宅に向かうリムジンバスに乗る直前に訃報を知りました。

父は9年半もの間、癌と戦ってきていたので、いつかはこうなるとは覚悟していたものの、やはり距離という問題で父の死に目に会えなかったのが悔しくてたまりませんでした。
「お父さん、間に合わなくてごめんね」「お父さんがつらい時にそばにいれあげられなくてごめんね」後悔の念ばかりが頭を渦巻いていました。
そんな思いでリムジンバスで自宅に向かいました。

自宅に到着してすぐに父に会いに行きました。
父は、全身にがん細胞が転移して相当苦しかったはずなのに、とても穏やかな顔で寝ていました。「お父さん!」と声をかけたら、今にもふっと目覚めそうなくらい奇麗な顔をしてました。とても亡くなった顔とは思えませんでした。

父の顔を見た時、バスの中でずっと思っていた、ゆたママの後悔の気持ちというのが自然と抜けて行きました。

この8月の夏休みに一時帰国を果たしたのはみなさんもご存知だとは思うけど、帰国の目的としてゆたママの運転免許の更新と、健康診断と書いて来ましたが、本当の目的というのは、父に会うことでした。こんなことを書いてしまうとみんな心配してしまうと思ったので敢えて書きませんでしたが。

我が家は今年の6月でアメリカ駐在で4年目を迎えたのですが、いつでも一時帰国できることになっていたので、当初はゆっくり過ごせるように12月に帰ろうか?と考えていたのだけど、なんとなく胸騒ぎがして「8月に帰らなければきっと後悔する」と思っていたので、8月は日本で一番暑い時期だったけど、ゆたパパを説得して8月の一時帰国が実現しました。
おかげで、帰国した時の父は入院もしてなくて、実家に滞在していた3日間はほとんど一緒に過ごすことができたのでした。
しかも、ゆたママ達が東京に向かうというので、最寄りの駅(車で片道30分ほどかかる距離)まで、父の運転で送ってもらいました。
父が「お父さんの体が痛くなければゆたママのところに遊びに行きたいんだけどなぁ。」と言ったので、「大丈夫だよ。元気になって、私たちのところに遊びにおいでよ。せっかくパスポートまで用意してあるんだから」と言って別れたのが最後の言葉でした。

そんなこともあったので、父の顔を見て、不思議と後悔する気持ちがなくなったんですよね。8月にゆっくりと孫の顔を見せてあげられて本当に良かった。

さて、悲しい中でも、喪主の母を支える娘として妹二人と一緒に通夜や告別式の打ち合わせをどんどんしていかなければなりません。弔問に訪れたお客さんにも対応していかなければなりません。
悲しいけれど、やることをやって、気持ちよく父を送り出してあげたい、、というのが、今まで育ててもらった父への恩返しだと思って。。
今日はほとんと寝ないで過ごしたけれど、不思議と疲れが出ません。きっと気が張ってるからでしょう。
明日は最終打ち合わせがあります。おやすみなさい。。

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