アメリカではちょっとしたことでカードを送り合う習慣がある。
日本だと年賀状とか暑中見舞いみたいな、ある時期になると誰もがカードを送り合うのとは違って、クリスマスはもちろん、ちょっとしたお礼だとか、お見舞いのカードなど普段の生活の中でもカードを送り合っているのを良く目の当たりにして来た。
カードを送り合う習慣があるので、当然のことながら、どこのお店に行っても、種類が豊富なカードが売られていて、選ぶのも一苦労なくらい。
今年は、夏の訪れが遅かった、ここベイエリア。
せっかく乾期に突入しても気温がなかなか上がらず、せっかくプールがコミュニティ内にあるのに、まだ2回しか利用していなくて、今までになくもったいない夏を終えてしまいそうです(T T)。
ゆたママさんのブログ
sympathy card
投稿者: ゆたママ 投稿日時: 2007年10月9日(火) 08:17- 続きを読む
- 参照(366)
Fleet Week San Francisco
投稿者: ゆたママ 投稿日時: 2007年10月7日(日) 08:15軍艦オタクならこのイベントは知ってると思うけれど、軍艦や空母にまったく興味のないゆたママでも今日のこのイベントは結構楽しめたかもしれない。
サンフランシスコのベイエリアを中心に空母、巡洋艦、駆逐艦、原潜などを一般公開するイベントが、毎年この時期に行われるのだけど、ゆたママ達が初めてこのイベントを見たのは7年前。
- 続きを読む
- 参照(438)
気持ちを切り替えてアメリカに戻ります
投稿者: ゆたママ 投稿日時: 2007年10月6日(土) 09:23さて、無事父の葬儀を終え、葬儀に関する清算やら、四十九日の法要に必要な仏壇の準備などの決め事を終えて、今日、アメリカの我が家に戻ります。
なんてったって、今回の一時帰国は本当に疲れたから、やっと我が家に帰れる〜!
今までは一時帰国と言えば、家族や親しい友達と会って、楽しく時間を過ごしていたし、実家に滞在しても4日が最高だったんだけど、今回は急に決まったことだったし、一週間も実家に滞在していて、本当に精神的に疲れてしまった。
- 続きを読む
- 参照(276)
涙あり、笑いありの父の告別式
投稿者: ゆたママ 投稿日時: 2007年10月3日(水) 09:21父の訃報に関する日記はまだまだ続きます。
もう読みたくない、という方はどうぞスルーしてくださいね。
さて、今日はいよいよ本当に父とお別れする日です。
それでも悲しみにふけってるヒマがありません。
母とゆたママは喪服の着付けとヘアのセットのため、朝5時過ぎに起きて支度して母の知人の美容室に出かけました。
初めに、ゆたママのヘアをセットしてもらい、次に母の着付けが済みました。
- 続きを読む
- 参照(328)
ビックリな出来事、父と過ごした最後の夜
投稿者: ゆたママ 投稿日時: 2007年10月2日(火) 09:20父の訃報に関する だいありーはまだまだ続きます。
もう読みたくない、という方はどうぞスルーしてくださいね。
今日の午後、6時から父の通夜が始まります。
通夜出棺までに、父の棺に入れる品物を母と用意していた時のこと。
何を入れようか?と悩んでいたところ、父の愛用していた帽子、セーター、シャツ、靴、鞄などを入れることにしました。
鞄を入れる時に中身をチェックしていたら、父の手帳が出て来ました。
中身をチラッと見てみたら。。
ものすごくビックリした。なぜなら、ゆたママの手帳を見てるようだったから。
- 続きを読む
- 参照(319)
通夜&告別式の最終打ち合わせ、準備 そして、父の挨拶
投稿者: ゆたママ 投稿日時: 2007年10月1日(月) 09:19父は昨日亡くなったけど、最後の入院中に妹達が子供を連れて父の見舞いに行った時に、時間だから帰ろうとすると「俺も家に帰るんだ」と弱々しい体でありながらも病院から抜け出して自宅に帰りたがっていたのを見た母と妹達は通夜を明日行うことに決め、今夜も家でリラックスして過ごせるよう最後の夜を過ごさせてあげることにした。
おかげで、ゆたママも父と過ごす日が一日増えて、心の準備も出来た。
その一方で、通夜や告別式に必要な物などの最終打ち合わせをした。
- 続きを読む
- 参照(338)
悲しい帰国(9月29日&30日)
投稿者: ゆたママ 投稿日時: 2007年9月30日(日) 08:34遊びにいらしてくださった皆様へ
実は、9月30日に父が亡くなりました。
危篤の知らせを受けたのがゆたママの誕生日の翌日、つまりアメリカ西海岸時間の朝4時。
そのまま、すぐにフライトの手配をして、成田に向かい、成田に30日の午後3時過ぎに到着しました。
その時点では父はまだ大丈夫だったのですが、自宅に向かうリムジンバスに乗る直前に訃報を知りました。
父は9年半もの間、癌と戦ってきていたので、いつかはこうなるとは覚悟していたものの、やはり距離という問題で父の死に目に会えなかったのが悔しくてたまりませんでした。
- 続きを読む
- 参照(298)